

漱石、雅楽をみる
今年2016年は夏目漱石没後100年。 漱石の著作『行人』には主人公が雅楽鑑賞に赴くシーンが描かれています。実はこれは漱石の実体験をふまえたものでした。 漱石が雅楽を鑑賞したのは明治44年。 当時の雅楽の様子が日記に残されているので、漱石の目線からから少し探ってみましょう。...


天子にのみ許された数
今から1370年前の645年7月10日(旧6月12日) 「大化の改新」が起こりました。 中大兄皇子と中臣鎌足によって、当時大きな力を持っていた蘇我氏が滅ぼされたという政変ですが、蘇我氏が滅ぼされた理由には現在も、さまざまな説があります。 ...


琵琶の祖
平安時代前期に活躍した楽人、藤原貞敏は 若い頃から音楽に精通し、鼓や琴などを好んで演奏していたといいます。 遣唐使として唐にわたり、琵琶の名手である簾承武に弟子入りしました。 短い期間(数ヶ月といわれる)で、曲を習得し、さらに数十曲の楽譜を授けられ、 ...


猿の舞?
その昔、聖徳太子が信貴山へ行く時、尺八を吹いたところ老猿の姿をした山神が現れて舞ったのを、四天王寺の楽人がこれを元にして舞ったという。 または、役行者が笛を吹きながら大峯に行くと、その曲に感じて山神が舞ったという。 この二つの由来が主に伝えられています。...


悲恋の楽曲!?
なげきこし みちの露にもまさりけり なれにし里をこふる涙は -嘆きながら来た道の露にも勝っている 慣れた故郷を恋しく思って流す涙は- <王昭君を詠める 赤染衛門 -後拾遺和歌集・雑三> 紀元前1世紀頃のこと。 匈奴の呼韓乎単于は前漢の元帝に「漢民族の女性を妻にしたい」と漢の...


唐楽を伝えた異国の楽師
今から4年ほど前に 奈良の西大寺の境内から土器が発掘されました。 一時話題になりましたので、ご存知の方もいらっしゃると思います。 この土器には「皇甫東朝」 という墨書がありました。 皇甫東朝(こうほとうちょう)は 天平八年(736)に遣唐使 中臣名代らと共に来日した唐人...


篳篥嫌いの原因は・・・
ある時、篳篥嫌いで有名だった明尊僧正(三井寺の僧で能書家で有名な小野道風の孫)が参加する月見の宴が琵琶湖でありました。 和邇部用枝は参加者の一人だったのですが、明尊僧正に乗船を禁じられてしまいます。 ところが彼は「それでは打ち物をさせていただきます」と言い、なんとか乗...


海野勝珉の「蘭陵王置物」
以前、東京国立博物館で開催されていた、 「皇室の名宝展」から「蘭陵王置物」を紹介しました。 明治期を代表する彫金師・海野勝珉(うんの・しょうみん)(1844-1915)の作です。 この「蘭陵王置物」で第三回国内勧業博覧会で妙技一等賞を受賞しています。...


玄宗皇帝の寵妃 楊貴妃の楽才
玄宗は唐の第6代皇帝として「開元の治」と呼ばれる善政を行いました。 遣唐使として唐に渡った、阿部仲麻呂を重用したのもこの玄宗でしたね。 そんな玄宗は非常に音楽を好み、演奏にも長けた人物でありました。 そして寵妃・楊貴妃とともに音楽を楽しんだと思われます。...