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漱石、雅楽をみる

  • 執筆者の写真: gagakuasia
    gagakuasia
  • 2016年9月1日
  • 読了時間: 2分

今年2016年は夏目漱石没後100年。

漱石の著作『行人』には主人公が雅楽鑑賞に赴くシーンが描かれています。実はこれは漱石の実体験をふまえたものでした。

漱石が雅楽を鑑賞したのは明治44年。

当時の雅楽の様子が日記に残されているので、漱石の目線からから少し探ってみましょう。

 六月三日(土)  夜来の雨いまだ晴れず、陰。午頃に路略乾くやうな気がする。

 拝啓陳者来六月三日雅楽稽古所に於て音楽演習相催候間同日

 午後一時より御来聴被下度候此段御案内申進候也

 明治四十四年五月 

樂部長 宮 地 巌 夫     夏 目 金 之 助 殿

  と云ふ。招待状を懐中に入れて家を出る。

  牛込御門内に着いたのは丁度一時五分前である。

                     『日記』明治四十四年

かつて現・宮内庁式部職楽部の前身、宮内省雅楽部の雅楽稽古所が牛込にあり、 そこでは定期的に演奏会が行われ一般に公開されていました。

漱石はその演奏会への招待を受け、実際に足を運び観覧していました。

舞台の正面には赤黒の木綿幅位の切を竪につぎ合せた幕がかかってゐる。さうして其一行に妙な紋が竪に並んでゐる。あとで聞いたら織田信長の紋ださうである。信長が王室の式微を嘆いてどうとかしたと云ふ縁故から来たものだそうである。其幕の上下には紫地に金の唐草の模様である緑で包んであつた。   其前の真中に太鼓がある。是は薄くて丸い枠の中に這入つてゐて、中央に金と緑と赤で丸い模様がある。左のはぢに火熨斗位の大きさの鐘是も枠に入つている。琴が二、琵琶が二面 其前は青い毛氈で敷き詰めた舞ふ所である。見所には紫に白く菊を染め出た幕が張つてあつた。(中略)

  やがて楽人が出た。みんな烏帽子をかぶって直垂といふ様なものをきてゐる其半分は朱の勝つた茶で、半分は紫の混つた茶である。三臺塩を云ふ曲と、嘉辰といふ朗詠をやる。夫が過ぎて舞楽になる。始めには例として振鉾をやる。其時の楽人の出立ちは悉く鳥兜と云ふのだら(う)妙なものを被つて、錦で作つた上下の上の鯨の骨の入らないやうなものをきて、白の先て幅三寸位の赤い絹のついた袖をつけて、白い括り袴で胡坐をかく頗る雅である。

                                   『日記』明治四十四年

このあとさらに、舞の様子の描写に続きます。

 

<引用・参考文献>

夏目漱石『日記』明治四十四年 夏目漱石全集 9 角川書店, 1974

[この記事は2016年9月1日「雅楽あれこれ」blog記事を再編集したものです]

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