

徽子女王の左手
今をさかのぼること千年ほど前、 醍醐天皇の孫に徽子(きし/よしこ)という女王がいました。 重明親王という管絃に優れた父を持ち、親王同様に楽の道に優れていたといいます。 斎宮として伊勢に下った後に村上天皇の後宮に入内したため、斎宮女御とも呼ばれました。 ...


琵琶の祖
平安時代前期に活躍した楽人、藤原貞敏は 若い頃から音楽に精通し、鼓や琴などを好んで演奏していたといいます。 遣唐使として唐にわたり、琵琶の名手である簾承武に弟子入りしました。 短い期間(数ヶ月といわれる)で、曲を習得し、さらに数十曲の楽譜を授けられ、 ...


源雅定 袖ふり給ふさま天童のくだりたる様にて
平安時代後期に活躍した公卿、源雅定は源雅実の次男として、父同様に楽には明るかったそうです。 幼時より舞楽に長じていたそうで、 康和3年(1101年)3月9日の白河院五十歳の賀の試楽における童舞で、 9歳にして『胡飲酒』を舞っています。 この時の様子は ...


経正と青山
平敦盛の兄である平経正もやはり楽の素養がある人物でした。 平清盛の異母弟、経盛の息子である経正は幼少期、仁和寺で過ごしたことがあり その頃に楽才を認められ、 仁和寺の五世門跡、覚性法親王より琵琶「青山」を下賜されたといいます。 ...


孫の才能
孫の成長と豊かな才能を喜び、目を細める祖父母の姿は今も昔も変わりません。 祖父の手に抱かれているのは、貞数親王。 清和天皇の第8皇子で、 舞の名手として知られていたそうです。 『日本三大実録』によれば、 陽成天皇が主催した、皇太后藤原高子の四十賀で「陵王」 を ...


『胡飲酒』を守った源雅実
源氏初の太政大臣まで昇進した源雅実(みなもと の まさざね)は、 堀河天皇の叔父として政界のみならず、楽の世界でも活躍をした人物です。 治暦3年10月に後冷泉天皇の御前で『胡飲酒』を舞い、御衣を賜ったことは後年長く語り伝えられたといいます。 ...


篳篥嫌いの原因は・・・
ある時、篳篥嫌いで有名だった明尊僧正(三井寺の僧で能書家で有名な小野道風の孫)が参加する月見の宴が琵琶湖でありました。 和邇部用枝は参加者の一人だったのですが、明尊僧正に乗船を禁じられてしまいます。 ところが彼は「それでは打ち物をさせていただきます」と言い、なんとか乗...


学芸にすぐれた悲劇の美男子
平重衡は清盛の五男で、管絃の道に通じていた人物でした。 『吾妻鏡』元暦元年(1184)四月では 頼朝に捕らえられ死を待つ重衡が<管絃>をした様子が記されています。 ある晩、頼朝が重衡のもとに数名の家臣と千手前を遣り、徒然を紛らわせるように宴を整えると工藤祐経は鼓...