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猿の舞?
- gagakuasia
- 2014年8月21日
- 読了時間: 1分
その昔、聖徳太子が信貴山へ行く時、尺八を吹いたところ老猿の姿をした山神が現れて舞ったのを、四天王寺の楽人がこれを元にして舞ったという。
または、役行者が笛を吹きながら大峯に行くと、その曲に感じて山神が舞ったという。 この二つの由来が主に伝えられています。

舞人の装束や面はこの山の神の姿を模しており、面は下を長く出した皺のある猿の顔になっています。 また、バチはキノコやゼンマイのような形をしており、こちらも特徴的です。
しかし、この舞の由来についてはまだまだ謎が多く、上の絵とあわせて、こちらの信西古楽図にある蘇莫者の姿は、現在私たちが知る物とも違っています。

一部学説では、「ソマクシャ」というのは高昌国(トルファン)の女性用の帽子の名前で、曲芸や手品を内容とする散楽の曲であったとか、サマルカンド地方の雨乞いの曲 というようなものもあります。
確かに、日本のものではないだろうことは舞人の姿や、楽曲の名前からも想像できますよね。 こうしたアジアでの起源をもっと深く探る事ができると、さらに面白いでしょう。 実際に「信西古楽図」には、他にもたくさんの曲芸の類が描かれており、こちらもじっくり見ていくと楽しいものです。また改めて取り上げてみたいと思います。
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