

源雅定 袖ふり給ふさま天童のくだりたる様にて
平安時代後期に活躍した公卿、源雅定は源雅実の次男として、父同様に楽には明るかったそうです。 幼時より舞楽に長じていたそうで、 康和3年(1101年)3月9日の白河院五十歳の賀の試楽における童舞で、 9歳にして『胡飲酒』を舞っています。 この時の様子は ...


悲恋の楽曲!?
なげきこし みちの露にもまさりけり なれにし里をこふる涙は -嘆きながら来た道の露にも勝っている 慣れた故郷を恋しく思って流す涙は- <王昭君を詠める 赤染衛門 -後拾遺和歌集・雑三> 紀元前1世紀頃のこと。 匈奴の呼韓乎単于は前漢の元帝に「漢民族の女性を妻にしたい」と漢の...


黒田官兵衛ゆかりの「青山」の伝来
黒田官兵衛の手に渡っていたという、琵琶の銘器「青山」(セイザン)。 この楽器は唐より伝来したとされますが、これを日本に持ち込んだのは藤原貞敏です。 貞敏は承和5年(838)に唐に遣唐使准判官として赴き、長安に入りました。 ...


篳篥嫌いの原因は・・・
ある時、篳篥嫌いで有名だった明尊僧正(三井寺の僧で能書家で有名な小野道風の孫)が参加する月見の宴が琵琶湖でありました。 和邇部用枝は参加者の一人だったのですが、明尊僧正に乗船を禁じられてしまいます。 ところが彼は「それでは打ち物をさせていただきます」と言い、なんとか乗...


学芸にすぐれた悲劇の美男子
平重衡は清盛の五男で、管絃の道に通じていた人物でした。 『吾妻鏡』元暦元年(1184)四月では 頼朝に捕らえられ死を待つ重衡が<管絃>をした様子が記されています。 ある晩、頼朝が重衡のもとに数名の家臣と千手前を遣り、徒然を紛らわせるように宴を整えると工藤祐経は鼓...