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天子にのみ許された数

  • 執筆者の写真: gagakuasia
    gagakuasia
  • 2015年7月10日
  • 読了時間: 2分

今から1370年前の645年7月10日(旧6月12日)

「大化の改新」が起こりました。 中大兄皇子と中臣鎌足によって、当時大きな力を持っていた蘇我氏が滅ぼされたという政変ですが、蘇我氏が滅ぼされた理由には現在も、さまざまな説があります。 よく言われる説では、「専横を極めた」というもの。 そしてその根拠のひとつとなっているのが 蘇我蝦夷が葛城の高宮に祖廟を建て、八佾舞(はちいつのまい)をしたという記述。

八佾舞はやつらのまいともいい、多数の舞人による群舞です。 この時、蝦夷は64人の舞人で列をなして、舞わせたそうなのですが、 実はこの64人という人数がみそ。

この舞が生まれた古代中国では、舞人の人数は身分による厳格な決まりがありました。 実は蝦夷が行った64人は中国では天子にのみ許された人数なのです。 それを天皇の臣下である蘇我氏が私的に行った。 そのことが大きな問題となったというのです。 実際に八佾舞がどのようなものであったのかは、日本では後の時代に根付くことがなく、また中国でも残っていないため、詳細はわかりませんが、

近年、朝鮮半島にのこる佾舞(イルム)をもとに中国での復興も進められています。また韓国では宗廟(歴代朝鮮王の廟)で毎年上演されています。

(八いつ舞の「いつ」はにんべんにつくりは八の下に月。)

 

写真は2016年に韓国ソウルの宗廟で上演された佾舞(イルム)

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