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学芸にすぐれた悲劇の美男子
- gagakuasia
- 2012年1月12日
- 読了時間: 1分
平重衡は清盛の五男で、管絃の道に通じていた人物でした。 『吾妻鏡』元暦元年(1184)四月では 頼朝に捕らえられ死を待つ重衡が<管絃>をした様子が記されています。 ある晩、頼朝が重衡のもとに数名の家臣と千手前を遣り、徒然を紛らわせるように宴を整えると工藤祐経は鼓を打ち、今様を歌いました。また千手前が琵琶を弾き、重衡が横笛を吹きました。
はじめに「五常楽」を合奏すると、重衡は「敵方に捕らえられもはや命もない身、五常楽ではなく「後生楽」だ」と。続いて皇麞急を吹いて、「往生急」(往生=死を急ぐ)と言いました。 この時の様子と重衡が芸能・言動ともにすぐれていることを聞いた頼朝は その場にいなかったことを悔やんだといいます。 (要約) 『平家物語』にも千手前との話の中に同様のエピソードが語られています。

この後、重衡は斬首されました。享年わずか29。 「なまめかしくきよらか」といわれる容姿を持ち、その人柄は多くの人を惹きつけました。都落ちの際には大勢の女房たちが涙にくれたといいます。
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